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評定衆として幕府にも参加した初代朝光の肖像画。 (称名寺蔵)

結城の歴史

中世の結城のまちづくりの礎となった結城家、その伝統をささえた近世の町方と水野家。

 源頼朝が鎌倉幕府を開く頃、下野南部の豪族小山政光の子、後の結城初代朝光は、源頼朝との縁から結城地方を与えられ、以後、約400年にわたって代々この地方を治めることになります。幾多の合戦を乗り越え、16代政勝以降、結城家は、産業の保護と特産品の育成を図り、勢力の維持増強に努めました。
 慶長6年(1601),18代秀康(徳川家康の次男)の越前転封後、入封したのは徳川家と縁の深い水野家でした。江戸時代、結城家には、結城水野家と山川水野家(11代が天保の改革の忠邦)に治められた歴史があります。両水野家は、結城家の元家臣であった結城十人衆といわれる町方(商人)とともに、まちの発展に尽力しました。

幕府に抗した足利持氏の遺児、安王丸・春王丸を擁立し、幕府方の上杉勢力との最後の死闘を描いた結城合戦絵巻。(国立歴史民族博物館所蔵)

結城の文化

現在の結城は、その歴史的文化遺産をぬきには語れない。

 結城は早くから文化の花開く素養を持つ都市でした。江戸時代になると、町人の高い経済力は多くの文化人を育みました。
 結城を代表する俳人・砂岡雁宕(いさおかがんとう)は与謝蕪村と同門であり、蕪村は寛保2年(1742)、雁宕を頼って結城に来ています。蕪村はその後、弘経寺に移り住み、同寺に墨梅図、楼閣図、山水図などの襖絵を残しています。
 同じく結城を代表する学者・俳人である早見晋我(はやみしんが)号・北寿は江戸で朱子学を学び、結城に戻って多くの子弟に漢学を教えていました。晋我と交流を結んだ蕪村は、その学識に敬服したといわれています。

弘経時は浄土宗十八壇林(宗派の学問所のひとつ)。18代秀康が、娘「松姫」の菩提を弔うため建立した。

18世紀中頃、結城を訪れた蕪村が描いた襖絵。
(弘経寺蔵・非公開)
江戸期の結城の文化に多大な影響を与えた砂岡雁宕の句碑(弘経寺)

【お寺と神社・史跡】
●安穏寺 「九尾の狐退治」の源翁(げんのう)和尚ゆかりの寺。
●孝顕寺 結城水野家の菩提所。結城家十五代政朝肖像画、政朝夫人肖像画、 十七代晴朝肖像画を所蔵。
●聡敏神社 結城水野家の祖、水野日向守勝成がご祭神。
文化十三年に福山聡敏神社より勧請される。
●健田須賀神社 結城家初代朝光が勧請。例祭は11月15日。
その他、祭礼は元旦の初詣、太々神楽、祇園祭、夏越祭。
●大桑神社 例祭は11月15日。境内の大欅郡は市天然記念物。
●東持寺 中世武家館(山川重光の居館)跡。
●大栄寺
 (山川不動尊)
平将門が京都・東寺より持ち帰ったものとも言われる伝弘法大師作の 木造不動明王坐像を所蔵。
●御朱印掘) 孝顕寺、弘経寺、光福寺などの境内に見られる、結城家十六代正勝が城下 町の発展のため、特定の商工業者の地代を免税した地域の発掘の跡。
●諏訪神社 天慶3年(946年)藤原秀郷が祈願創建したと言われている。

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